田代神楽
田代神楽の創始年代は明らかではありませんが、言い伝えによると 文治5年(1189)、成元成書、成近の兄弟がこの地に村を開き、大井川河畔の杉の根元に大井神社を建立。成善が神職につき、神楽を奉納したと伝えられており、昭和60年(1985)に県無形民俗文化財の指定を受けています。
田代神楽は、毎年1月15日に行われてきた農祭と3年に一度坂京⇒田代⇒崎平の順送りに施行してきたミサキ神楽が混成します。
ミサキ神楽は大井川流域、安倍川流域山間部に広く伝承分布し、「駿河神楽」と総称される湯立神楽の一つであり、農祭の演目としてある「鬼面」「殿面」「女郎面」などは駿河神楽に共通している演目で、もとはミサキ神楽の演目だったものと考えらえれています。
農祭は小正月に行われてきたもので稲作の予祝芸能としての色彩が濃い演目構成になっており、「駒舞」「田ならし」「田植え」と連続させる演目構成はまさに稲作過程を演ずるもので、かつ風流化させている点が大きな特色です。
現在では3年に1度、例大祭の9月15日に大井神社で奉納されています。演目や全体の構成は他に類を見ない独特なものといえます。
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田代神楽「狩人」
狩人の面を付け、頬被りをし、白衣に水色の袴をつけた狩人が、右手に鈴、左手に弓矢を持って登場する。中拍子の楽で一舞舞うと、ネクタイ姿の村人がマイドウに現れ、二人して座り込み、問答を始める。狩人と村人の問答は即興で行われる。狩人が「いやー、腰痛くてこの前医者に行ってきたよ」などという挨拶で会話が始まる。村人は「今年は御陰で作りはよ。よくできただよ。だがよ、獣が出て、しょうがないずらよ。いっちょ、矢で追ってくれないかよ。おじいひとりではよ。大変ずらよ。東のほうに、殺生の上手なやつがいるかよ。」狩人はそれに答えて東の集落の名と殺生好きな者を上げ、次に西、南、北の集落の殺生好きな者を上げ、それらの者に応援頼むことになる。東から獣が出てきたと村人が告げると狩人は弓矢を射る真似をするが、腰砕けとなって射損じてしまう。「それではオジイ皆を連れて帰ってくれや」と村人が言うと、狩人は弓矢を持って五方に舞う。
田代神楽「駒の舞」
三人の駒引きに引かれて三頭の駒が当屋を出発し練りながら神社にやって来る。駒引きは、顔には滑稽な化粧をして頬冠りをし絆纏、股引き姿でなだれ込むように入って来る。柴燈火の回りを二周すると舞台に上がり、二、三周して駒引は退場する。
騎乗は、それぞれ白、赤、青色の帯状の長い布で鉢巻をし笠を冠り、黒い紋付きの着物、腰には、何本ものシゴキ帯を結え輪竹を吊るしそれに、近在の神社名を書いた紙を垂らし手にはそれぞれ白、赤、青色の駒頭を持っている。右の手綱についている鈴を鳴らしながらオロシの曲で舞台を二周する。曲は、ドウガカリに変わり互いに中央向きで前屈みになり曲に合わせて駒頭を振って鈴を鳴らす。三角形を一度ずつ跳ねては、移動しその度に同じ所作を繰り返して行なう。次に横一列になって同じ所作で駒頭を振り又三角形を作り移動しては、次の場所で同じ所作をする。以下大拍子、中の拍子、シミズと曲は変わるが、ドウガカリの時とは振り方が異なるが、四面を順に振って行く。最後にオロシの曲に変わり鈴を鳴らしながら舞台を三周して退場する。
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更新日:2024年05月08日