三ツ星学園の子どもたちが「おろくぼの大蛇」を紙芝居に。―町の昔話を未来へつなぐ探究学習―
地元の魅力をもっと多くの人に届けたい——そのような思いから、三ツ星学園の生徒が川根本町の昔話「おろくぼの大蛇」を紙芝居にまとめました。
調査や取材を重ねた力作は、昔話を未来へとつなぐ、子どもたちからの温かなメッセージです。
三ツ星学園生徒のことば
作成の経緯
探究学習のテーマは「生き生きとした町づくり」です。このテーマのもと、川根本町の昔話をたくさんの人に知ってもらい、川根本町を宣伝したいと考えました。
そこで本や資料から調べ、地元の民話を語り継いでいる「話楽座(わらくざ)」さんにもアドバイスをいただき、「おろくぼの大蛇」というお話しで紙芝居を作ることに決めました。
作成に対する思い
川根本町の昔話がもっと広まってほしいという思いで紙芝居を作りました。そして、昔話をきっかけにして、たくさんの方々に川根本町へ足を運んでいただけたらいいなと思っています。
作成者
三ツ星学園
9年:大井南、中澤大樹
7年:小倉和奈、鈴木悠葵、中澤脩太
紙芝居「おろくぼの大蛇」
昔、昔の大昔、今尾呂久保の人達が「池の畑」と呼んでいる茶畑は、あおい水を一杯にたたえた、大きな大きな池だったそうです。
池の周りには、山には珍しい、大きな柳の木が生えていました。又何本もの栗の木も生えていました。
その綺麗な池に、一匹の大蛇が何百年も前から、のんびりと住みついて、池の主として村人達からも大事にされておりました。
大蛇は、あたたかな秋の日差しを受けて、うとうとと眠りかけていました。
池の廻りの栗の木には、今年もたくさんのみを付けました。
子供達が、大勢でクリ拾いにやってきました。
どの子も、籠一杯の栗のみを拾いました。
「見て見て、私、こんなにたくさん拾ったよ」
「俺の方がたくさんだぞ」子供達は集まって、見せ合いました。
一番年上の男の子が「皆、たくさん拾ったで、これくらいにして、かえらざあ」子供達は、帰る事にしました。
その時、一人の女の子が
「まってて、あそこに、大きな栗のみが」と池のそばの草むらの栗のみを拾おうとしました。
栗だと思って拾おうとしたのは、何と大蛇の目玉でした。
「うーん」
ビックリしたのは大蛇です。驚いたのと、あまりの痛さに腹を立てたのとが重なり、大きなうめきごえをあげたかと思うと、
女の子をひと呑みしてしまいました。
それを見ていた、子供達はあまりの恐ろしさに、籠を放り投げると泣きながら、逃げかえりました。
子供達から、話を聞いた村の人達は、
「おとなしい、蛇だと思っていたが、こんな恐ろしいやつは、この池に住まわすことはできん」
「そうだ、そうだ」
「とにかく、この池から追い出そう」
村人達は、どうしたら大蛇を池から追い出すことができるか相談しました。
「大蛇は、綺麗な水が好きだから、池を汚して、住めないようにしたらどうずらあ」
村人達は、汚れものを持ち寄って、池に投げこみました。
綺麗な水がこんこんと湧きでていた池も、すっかり汚れてしまいました。
池を汚され、たまらなくなった大蛇は、長い身体を、のそりのそりとくねらせ、尾根まで昇ってきました。この尾根を曲がると池はもう見えなくなります。
「わしは、ずっとずっと、あの池に住んでいたかった」と言いながら、なみだを流し、なつかしそうに、振り返った時、大蛇の尻尾はまだ池のはたの柳の木に、七まき半もまき付いていました。
大蛇の流したなみだが、たくさんの水となって、山あいを流れる瀧になりました。大蛇は、山の木や草を押し分けて進み、家山の野守の池に辿り着き、ずっとそこに住んだという事です。
その後、こんこんと湧きでていた水はだんだんと少なくなって、小さな池になってしまいました。
大昔は、尾呂久保を「おろちく」と呼んでいたそうです。
又、大蛇の通った所の地名を、しっぽの尾をつけて「上長尾・中尾・下長尾」と呼ぶようになったそうです。
大蛇が流したなみだの瀧は「蛇のなみだ」と呼ばれ、どんなに、日照りがつづいても、水は枯れることはないそうです。
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更新日:2025年12月12日