筏流しと高瀬船

更新日:2021年09月02日

大井川はかつて、筏流し、バラ狩り、高瀬船など、交通路として利用されてきました。

 かつて大井川は、山奥の巨木を川に流して平野に運ぶための交通路であり、古くは「日本書紀」(374年)にその記録があります。木材を組んで上流から下流 に流送する「筏流し」や、木材一本一本をばらばらに流送する「バラ狩り」などは、発電用ダムが建設された明治末期から昭和初期まで行われていました。 
 また、江戸時代、幕府の方針で大井川に架橋と通船が禁じられていましたが、明治3年(1870年)になると島田や金谷、千頭方面に「高瀬船」が通じ、人々 の重要な生活の足となりました。大正11年(1922年)にはプロペラ船も登場しています。昭和6年(1932年)に大井川鐵道が金谷-千頭間に開通するとともに、高瀬船も役割を終えました。 

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