町のあゆみ

更新日:2021年09月02日

 かつては稲作や木材・木炭製造、椎茸栽培などが行われてきましたが、近年は川根茶の栽培や観光などが盛んです。 
 川根本町の歴史は古く、田代地区「ヌタブラ遺跡」では石器を作るときに台にした「台石」と石器をたたき割るハンマーがみつかり、その付近から石器の材料となった石片がたくさん出てきたことから、ここで石器を作っていたことが明らかになりました。この石器は旧石器時代、今から3万年ないし4万年前のものという大変古いもので、静岡県内最古のものではないかと言われています。そのほかにも町内では縄文時代(約1万年〜2,500年前)の遺跡が数多く発見されています。 

いろいろなヌタブラ遺跡出土品

ヌタブラ遺跡出土品
(3万年〜4万年前)

上長尾遺跡主度品の土偶

上長尾遺跡出土品
(2300年〜2500年前)

 江戸時代以前には大井川右岸は遠江国「山香庄」の一部「河根郷」に属し、左岸は駿河国「大津庄」の一部「徳山郷」と称していました。1871年の廃藩置県により、右岸(遠江国榛原郡)が浜松県、左岸(駿河国志太郡)が静岡県の管下となり、1876年の浜松県廃止まで、志太榛原の両郡は県を異にしていました。 
 1889年に町村制が施行されて、中川根町の基となる榛原郡中川根村と志太郡徳山村、本川根町の基となる榛原郡上川根村と志太郡東川根村が誕生しました。 
 かつては稲作や木材・木炭製造、椎茸栽培などが行われてきましたが、近世初期から茶の栽培が始まり、明治時代以降は輸出産業として高い評価を受けてきました。 

 明治時代末からダム建設が始まり、大正・昭和時代には次々と発電所が建設されました。1931年12月には大井川鐵道が全線開通しました。お茶と林業とダムに加え、高度成長期には工場誘致と寸又峡温泉などを中心とした観光振興の取り組みが進められてきました。特に基幹産業である茶業では、農林水産大臣賞などの輝かしい賞を数多く受賞するなど、先人の努力によって品質向上が図られ、上質な煎茶として「川根茶」の名声は全国に知られるようになりました。 

 1907年頃から、道路や橋、教育・文化施設、医療・福祉施設、町営住宅などを順次整備しながら、『ウッドハウスおろくぼ』、『 フォーレなかかわね茶茗舘』、『 奥大井音戯の郷』、『 白沢温泉「もりのいずみ」』などの観光拠点の整備も進めてきました。 

 2005年9月、国の地方分権と財政危機などに対応し、地域のさらなる発展を目指して旧中川根町と旧本川根町が合併し、川根本町が誕生しました。 

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